2008年08月04日

「あたらしい戦略の教科書」読書感想文14

>明確な目標を立てての失敗を、結果論で非難するのは卑怯なことです。
>(115ページ)

インターネットの掲示板において、サッカー日本代表の試合後に見られる不毛なやりとりが何故不毛なのかと言えば、その一因はここに書かれた1文に集約されるのではないでしょうか。

この本を前編通して掲げられているパターンは、「現状認識」「目標設定」「そこへ至る戦略」の3ステップです。結果を評価するには、
・現状認識は正しかったか
・目標は妥当なものか
・戦略は適切であったか
と言う検証をすべて行って初めてフェアな評価が出来ます。ところが先のネット掲示板では、そのどれも検証されることがありません。

ネット掲示板でのスポーツファンの戯れ言ならば、まあそれもよいでしょうが困ったことに生活のかかったビジネスの現場の評価においてもこの悪しき結果主義が幅をきかせています。要するに勝ったか負けたかという結果のみで判断されている現場の担当者がかなり居るということです。

制度上、現状認識や目標設定の妥当性などを話し合うことになってはいても、後から振り返って評価の基準となるのはあくまで勝ったか負けたかなわけです。ましな場合でもやり方がよかったかどうか、つまり「戦略」の検証に止まり、現状認識と目標設定は妥当であるという前提でしか評価されません。しかしその前提が常に保証されているなんて事、あり得ないと思いませんか。

もっとも、前提を覆すことを認めると違った意味の卑怯さが顔を覗かせるというジレンマがあります。ですがせめて、結果と戦略の良否だけではなく、現状認識と目標の妥当性にまで評価の判断要素を広げなければならないでしょう。
posted by いまきち at 02:48| Comment(0) | 日記

「あたらしい戦略の教科書」読書感想文13

>市況の変化も含めて失敗は失敗とした方がよいこともあるでしょう。
>(112ページ)

この本は現場に近い立場からいろいろなことが書かれていて参考になることも多いのですが、たまにすごく違和感のあることが書かれているときがあります。私はその理由を、私はドロドロした日本の大企業で働いているがこの本の作者はそうではないから、とふんでいますがどうでしょうか。

引用部分も違和感を抱いた部分のひとつです。無理矢理計画を続けるよりは失敗と結論づけた方がよいというのは理想としては(理屈としては)その通りなのですが、実際に現場の人間にそれが許されるかどうかは全く別の次元の要素を含んでいます。

まずそもそも継続と失敗を決める権限がない。また失敗に終わった場合、絶対によい評価を得られないということ。さら悪いことには、失敗で計画を終了させることをリコメンドした場合その発言の責任を負わされることすらある。また日本の風潮として、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という安西先生の名言(注)にもあるように、諦めることは悪という道徳が定着しています。ついでに言えば、「○○さんたちの尽力を無駄にするのか」というしがらみもあります。

このまま進んだら大火傷するのは分かっていたがストップする勇気を持たないマネジメントのせいで結局、完膚無きまでの大失敗になること、例が多すぎて何を挙げようか悩むほどです。例えば、南極点到達を目指す競争において(極点到達こそ果たしましたが)1番乗りに失敗した挙げ句全滅してしまったスコット隊、第一次世界大戦後から第二次世界大戦までの日本の軍部(これがストップする勇気の問題なのかどうか謎ですが)、身近なところでは「まだ食べられる」と思ってそのままにしておいたら完全に腐ってしまった冷蔵庫の中身なんてのも…。

ワンマンのマネージャなら理知的にバッサリ決断出来るのかもしれませんが、普通のマネージャの場合、計画を失敗に終わらせるにはどうしてもそこには「言い訳」というか「大義名分」が必要になります。それがないと周囲、特に上層部は納得しません。この「大義名分」の発掘から取り扱いについてのノウハウはとても使えるものになるでしょう。

私も「現場の人間」なのでそういうノウハウについても少しずつこういうところにまとめていきたいと思います。

(注)漫画、スラムダンクより。漫画ではこの言葉に発憤した登場人物の活躍でチームは勝利を収める。
posted by いまきち at 02:29| Comment(0) | 日記

「あたらしい戦略の教科書」読書感想文12

>そこから数多くの定性的な意見に見られる共通の何かを引き出すのに必要な力は、数学的な力ではなく、むしろ国語力です。
>(105ページ)

ここの下り、定積的な情報を軽視するなという文脈で書かれているのですが、雑多な定性的情報を説得力のある語りにまとめるのは非常に難しいものです。母集団が多くても少なくても難しい。結果をまとめる人の国語力はもちろんのこと、報告を受ける側の国語力も必要になります。

大体この手の報告書を見せると「定性的な情報が足りない」という指摘を受けるのが定番なのですが、こういうのは組織の文化にもよるのでしょうね。だとすると、私の所属する組織は定量的な情報の利用が下手なのでしょうか。

過去を振り返ってみると、確かに成功も失敗も、その報告にはあまり数字が出ていない気がする。もちろんシステムテストの品質報告なんかは明確に数字が出ているのですが有効に活用できているかとなるとどうも怪しい。書面に書くためだけの数字になっていないだろうかと考え込んでしまいました。

かといってこの本で述べられているような定性的情報を有効活用できているかというとそれも怪しいのですが。ダメダメじゃん。

定性的な情報を上手く使うコツというのは、一見遠回りのようでも着実な国語力をつけること、というのが一番正解に近いと思います。私がこうやって感想文を書くようになったのもそういうことを実感しているからかもしれないですね。先に挙げた、私の所属組織に限らずシステム屋さんというのは国語力に難のある人が多いと思います。ロジカルな思考はそれなりに出来るのにね。
posted by いまきち at 02:04| Comment(0) | 日記